冬眠

過食をやめたい

病んでいけない人などいない

摂食に関する本を読んでわかってきたことがある。本当は身バレ防止のために家族についてはあまり書かずにいたが、大事なことっぽいので書いておこうと思う。あくまで自己分析なのであしからず。


私は今まで、自分がダメなのは自分のせいなのだと思っていた。もちろん今でも思っているし、それは、本当にそうなのだとも思う。両親は愛情を十分私にくれたし、経済的にも平均だったし、ひどいいじめにあったこともない。
メディアにはたくさんの「かわいそうな人たち」がいて、それに比べて幸せな環境の自分が病むことは許されないと思っていた。


でも、それは違う。


本にも書いてあったが、同じ環境でも繊細な性格の人と鈍感な性格の人では受けるストレスの度合いが違う。そして繊細でも鈍感でも長所と短所がありよいとも悪いとも言えない。「自分の性格がよいか悪いのかを決めるのではなく、自分の性格を知り、それを受け入れて生きていくことが大事です」とある。
私が子供のころ、両親は仲が悪かった。父は仕事が忙しく帰ってきてもテレビばかりで家事をしてるところを見たことがない。私たち子供とはよく遊んでくれたけれど、母親に対して優しくしてる姿は思い出せない。
母はテレビを見て笑ってる父を台所からすごくにらんでいた。料理をすごく苛々しながら作っていた。私は、いつか母がその持ってる包丁で父を刺すんじゃないかと思った。そして、そんな母に気づかない父に対しても悲しかった。


で、いじめに関してもたしかに暴行や金銭要求などはないにせよ、無視とか仲間はずれにされたことはあった。でもそれはみんな起きることでありささいなことだと思っていたけれど、やっぱり、今でもあの時の空気を思い出すほど、苦しいのだ。
あとは性犯罪。これは詳細は書かないが、自分はまだ軽い方だ、もっと大変な目にあった人もいる、と自分の気持ちを押し殺していた。本当は今でも犯人を殺したくなるほど憎んでるのに。


なんか、辛かったんだな、と思う。私よりもっと辛い思いしてる人いるよ、とは思うけれど、やっぱり私は私で、とても辛かったのだと思う。
そして、それは、べつに自然なこと。感情の動きにいいも悪いもない。辛いと感じて良いのだ。何を思うかは人それぞれの感覚なのだから。


だからって今更両親に「私はあの時不安だった」とか友達に「私はあの時傷ついた」とか警察に「私はあの時怖かった」とか、言える勇気はないのだが…。


それでも、自分で自分に「辛かったんだね、頑張ったね」と言ってあげるだけで、少し心が軽くなる気がする。


そんなこと気にするな、と言われても気にするし、そんなこと考えるな、と言われても考えるし、そんなことで悩むな、といわれても悩むのだ。それが私なのだ。
で、それは決して悪いことじゃなくて、じゃあそうゆう自分がどうしたら生きやすくなるか、ということを考えなければいけない。
ただこの生きやすさというものが私にとって生きづらいことを選ぶことで生きやすくなっていることもある(とんちみたいだが)。


あぁ…頭が白くなってきたwとりあえずこれにて。読んでくださった方、ありがとうございました。


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